大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

富山地方裁判所 昭和31年(刑)286号 判決 1956年10月01日

主文

被告人を懲役一年に処する。

未決勾留日数中九十日を右刑に算入する領置してある名剌一枚(証第一号)はこれを没収する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は昭和三十一年三月頃から日本航空羽田空港副操縦士萩原秀美なる偽名で富山市、金沢市等にあるカフエー、バー等に出入していたものであるが、偶々同年四月三十日頃××市常盤町カフエー新世界において女給横内おはまと雑談中、同女に対し現在右日本航空においてエアガールを募集中であるから志望者があれば推薦して貰い度い等と申向け同女からその知人である長野○○子(当十六年)が適任で或は志望するかも知れない旨聞知するや○○子をエアガールに推薦する旨甘言を以つて誘惑し、温泉地に連れ出してこれを姦淫しようと企て、同年五月一日同女を被告人の宿泊先である同市桜町三十八番地旅館北越館に呼び寄せ、予て偽作しておいたBC六B、シチーオブナラ副操縦士萩原秀美なる名剌を渡し恰かも自分が日本航空株式会社の副操縦士であるように装つて「あなたを日航のエアガールに世話してあげたい、試験は七、八月頃と思う、一度考えてみてくれ」と申し向け、同女をして被告人が日本航空株式会社の副操縦士で真にエアガールに世話するため呼び寄せたものと誤信させた上、更に翌二日再び同女を同所に呼び寄せて推薦するについての打合わせ等に事寄せて言葉巧みに誘い出し同日午後二時四十分頃富山駅発上り列車に乗車させ、同日夕刻石川県江沼郡片山津六五二番地よしのや旅館に連行して宿泊させ、もつて姦淫の目的で同女を誘拐したものである。

(証拠の標目)

判示事実は

一、第一回公判調書中被告人の供述記載及び当公廷における被告人の供述

一、被告人の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書

一、証人長野○○子(第一、第二回)同長谷川甚一、同中島徹、同長野賢一、同長野スエの当公廷における各供述

一、裁判所の証人永沢年男、同樋口雄二に対する各尋問調書

一、長野○○子の検察官に対する供述調書

一、長野○○子の司法警察員に対する告訴調書

一、横内おはまの司法警察員に対する供述調書

一、名剌一枚(証第一号)の存在

を綜合してこれを認める。

(累犯となる前科)

被告人は昭和二十四年五月三十日金沢地方裁判所において詐欺罪により懲役二年に昭和二十七年七月二十五日富山地方裁判所出町支部において詐欺罪及び同未遂罪により懲役二年六月にそれぞれ処せられ、いずれもその頃右刑の執行を受け終つたものである。この事実は被告人の当公廷における供述及び検察事務官作成の前科調書により明かである。

(法律の適用)

法律に照らすと被告人の判示所為は刑法第二百二十五条に該当するところ被告人には前示前科があるから同法第五十六条第一項第五十九条第五十七条により累犯加重をなし、その刑期範囲内で被告人を懲役一年に処し、同法第二十一条に則り未決勾留日数中九十日を右刑に算入し、領置してある名剌一枚(証第一号)は本件犯罪行為に供したもので被告人以外の者の所有に属しないこと明かであるから同法第十九条第一項第二号第二項によりこれを没収し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を適用して全部被告人に負担させることとする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は

一、長野○○子の本件告訴は、両親の手前娘として「自ら進んで被告人と行を共にした」とは言えず誘拐された如く申し開きしたためついに告訴せざるを得なくなつたもので、右告訴は長野○○子の真意に副わないもので無効である、と主張するが、証人長野○○子、同長野スエ、同長野賢一、同長谷川甚一、同中島徹の当公廷における各供述に照すも、本件告訴が右長野○○子の真意に反してなされた事実は認められない。

二、次に本件被拐取者長野○○子は本件公訴の提起後である昭和三十年九月十二日被告人と正式に婚姻したから、この場合にも刑法第二百二十九条但書を適用し、右婚姻により前記告訴はその効力を失うに至つたから本件は刑事訴訟法第三百三十八条第四号に該当し公訴を棄却すべきである、と主張するのでこの点について考えてみるに、弁護人主張のとおり被告人と長野○○子は本件公訴の提起後婚姻した事実は被告人の戸籍謄本により認められるところである。而して刑法第二百二十九条但書の趣旨は、(一)刑事訴訟法第二百三十五条第二項の規定と相俟つて被拐取者が犯人と婚姻中に告訴をしてもその効力がなく、婚姻の無効又は取消の裁判が確定した後において改めて告訴した場合にのみその効力を認める法意であると解される外(二)既に被拐取者が告訴をした後に犯人と婚姻した場合、さきになされた告訴は、特に告訴取下の手続をしなくとも当然に無効となる法意も含まれているものと解されるのである。そこで右(二)の場合において、その婚姻は弁護人主張の如く公訴提起後になされたものであつても、尚告訴を無効ならしめる趣旨であるか否かが次に考察されねばならないことになる。刑法第二百二十九条但書には特にこの点について規定を設けていないので、或は婚姻の場合に告訴を無効ならしめる実質的事由即ち婚姻によつて既に主たる法益侵害が治癒せられて共同扶助の生活に入り相互の幸福を図る関係になつたのであるから当然告訴の意思を抛棄したものと認められるなどこれ等の事由に重きを置き公訴提起後の婚姻の場合であつても、事由が全く同一であるから同様告訴を無効ならしめねばならぬとする見解も生ずるわけであるが、一面刑事訴訟法第二百三十七条には公訴提起後においては実質的に如何なる事由があるにせよ場合によつては被告人との間に婚姻に準ずるような生活関係が生じたにせよ、告訴の取消はこれを為し得ない旨規定しており、この規定の趣旨から考えると、尠くとも現行法のもとにおいては公訴権なるものは、これが一旦発動行使されたときは司法秩序維持の原則が私人の意思の優位にたち、爾後公訴権の維持遂行を不可能ならしめるような一切の私人の意思行為の介入を排除し独自の国家的立場から行使さるべき本質をもつものであることをうかがい知ることが出来るのである。勿論本件の如く公訴提起後の婚姻の場合、告訴の効力如何という所謂告訴の効力論の問題と、告訴の取消とは全く別個の観念であるから、公訴の効力の左右されることを防ぐ右告訴取消に関する前示法文の趣旨をその侭婚姻の場合にも当てはめ当然に公訴提起後の婚姻は告訴の効力に何等の影響を与えるものでないとする結論を導くことは出来ないが、右告訴取消に関する規定は公訴権の性質より必然的に斯くあるべきものとしての一表現規定とみるのを妥当とすべきであるから、本件の如く公訴提起後の婚姻の場合告訴の効力に関し何等直接の規定のない場合においては、結局公訴権の性質という本源に戻りこれを考察すべきであるところ、当裁判所が既に述べた如く公訴権はこれが一旦発動行使された場合は爾後この公訴権の維持遂行を不可能ならしめるような一切の私人の意思行為の介入を許さないとする見解からすれば、無効と取消との観念上の差こそあれこの見解と結論において相反する即ち公訴権の効力を左右する結果を招来するような法文の解釈は到底これを許容することが出来ないわけであり、弁護人の主張はこれを採用することが出来ない。従つて本件の被拐取者である長野○○子の告訴は本件の婚姻によつて何等の影響も受けることなく依然有効のものであるから本件公訴は刑事訴訟法第三百三十八条第四号に該当しないこと勿論である。

よつて主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 松本孝一 裁判官 野村忠治 矢代利則)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例